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日本一トンネルの多いまち横須賀の隧道群(A lot of tunnels in Yokosuka city)

平六隧道近く IMG_3115筒井隧道 IMG_3122梅田隧道 IMG_3132
 横須賀は古くから隧道の多い町。
道路用のものだけで120箇所以上もあるという。
この町のように隧道が密集している商業地・住宅地に程近いエリアは、
首都圏はもちろん、全国でも珍しい。この町に隧道が多い理由は主に3つ。

 第一に、港や海岸近くに平地が少なく、丘のような低い山地が海に迫った複雑に入り組んだ地形であり、隣の町へ行くにも不便を強いられ、隧道による利便性が求められていたこと
 第二の理由として、この町が明治時代から戦後の米軍占領時に至るまで日本を代表する軍港であったことが挙げられる。
とりわけ戦前は軍港や砲台を有するこの町において軍事上のヒト・モノの輸送ルートとして、多くの隧道が設けられた、特殊事情があった。
 第三に、大正末から戦前にかけて、都市化の進行により周辺地域との道路網を設けるにあたり、自動車用のサイズの大きい隧道を数多く建設したことがある。
 海に面した入り組んだ地形の町ゆえ、東日本大震災後は貴重なバイパス道として、防災上の役割もより大きくなっていくことだろう。

 そのようなわけで、首都圏から電車でわずか1時間余りの交通至便な町に、今なお「現役」の隧道が数多く存在している。最近では、地元の自治体が旅行会社などと一緒に「トンネルめぐりツアー」を開催したり、これらの隧道が、興味深い歴史と相まって、静かな人気を呼んでいる。

 まだ、吹く風の寒い3月の初めの快晴の日、初めて横須賀を訪れた。
「トンネルMap」(現在は休刊) おすすめのコースは、
横須賀中央駅から京急で少し戻った追浜(おっぱま)駅からスタートするのだが、その京急線がまた隧道の宝庫である。
横浜から横須賀まで、隧道また隧道の連続する区間が随所にあり、
横須賀中央のように隧道と隧道の狭間に位置する駅もいくつかあって、隧道好きには飽きない。京急は、運転席後ろのカーテンを下してしまうJR横須賀線と違って、先頭車両からの前面展望が楽しめるのも嬉しい。
追浜(おっぱま)駅で降りて、Mapを片手にのんびりと歩いてみた。

☆向坂隧道(昭和8年開通/全長70m)
画像
 追浜駅から線路沿いに少し横浜方面に進み、線路から左へ山手に進む。鷹取という町の閑静な住宅街を、山の傾斜をあてに進んでいく。
この辺は「谷戸」(やと)と呼ばれる丘陵地が浸食されて形成された谷状に入り組んだ地形で、坂が多い。谷のような地形を奥に進んでもなお住宅が続き、その先の隣町に通じる細い道に立ち並ぶ民家の先に突然、ポッカリと黒い口をあけた隧道が見えた。道を進んで近づいてみると、隧道の直前まで民家が建ち並び、「クロネコヤマト」の宅急便のお兄さんが忙しく走り回っていた。

 隧道内部は赤い煉瓦で覆われており、Mapによると当初は素掘りの隧道だったが、昭和58年に現在の姿に改修されたとのこと。幅は3mしかなく、横須賀の隧道の中では最も狭いという。蛍光灯の灯る隧道内は、人通りが少ないこともあって少々気味が悪いが、出口付近では近くを走る京急の電車の音も聞こえるのでホッとする。出口を出ると、また民家が続く。やはり地理的には、追浜駅の裏手の山を貫く隧道であった。

☆平六(へいろく)隧道(昭和14年開通/全長90m)
平六隧道 IMG_3117
 向坂隧道を出て、京急の踏切を越え、国道を越える。
この隧道も、Mapの簡略図ではたどり着けない細い道にあり、辺りにいた地元の主婦に聞きながら進んだ。
 平六隧道もまた、都市の近郊にどこにでもあるような住宅地の奥にあった。先の向坂隧道もそうだが、隧道に至るまでの住宅街は平地で、小さなスナックがあったり、いわゆる「町」の風景が展開している。隧道の「闇」とわずか数十mの所に、「町」の日常の生活が存在しているところが興味深い。
平六隧道の近くには、「幅員狭小」の道路予告標示が立てられていたり、電柱にも「この先、階段と1m以下の道となり通り抜けできません」と貼られていたり、まるで“あちらの世界”がすぐそこに存在することを予告しているように感じ、心がざわめく。
 新興住宅地と隧道、そしてその先にある異次元の世界というフィクションは、宮崎駿監督のアニメーション映画「千と千尋の神隠し」でも描かれているが、こうした点景には隧道に対するロマンチシズムを感じる。

 平六隧道は丘陵地に造成した新興住宅地の奥、ゆるやかな坂を上がった先にあった。隧道の中に坂のトップの地点があり、隧道の天井が極立って低いために(約2.5m)、かなりの圧迫感がある。蛍光灯が頭に触れてしまいそうだったが、隧道内は照明の効果で明るかった。感覚としては、ワインセラーのようなサイズの隧道で、何だか“家”の中にいるようだ。
 壁面などよく補修もされており、通行していて安心感がある。安心の理由はもうひとつあって、出口を出るとすぐ小学校の裏側に出る。きっと小学生の通学路にもなっているのだろう。ただ、隧道出口の低い坑門の上はわりと深い竹林になっており、子どもたちでなくともちょっと怖そうな雰囲気だ。昼どきだったので、出口付近には小学校の給食らしき騒音、それを先生が注意する声まで聞こえた。海が近いので、トンビの鳴き声も響いていた。

☆梅田隧道(明治20年開通/全長204m)
梅田隧道 IMG_3131
 平六隧道を出て、Mapに沿って、筒井隧道というやたら背の高い坑門が特徴のスタイリッシュな隧道を通り抜けた後、蕎麦屋に入り、エビフライと目玉焼きの定食で昼食。
蕎麦屋にて IMG_3125
 蕎麦屋の奥さんに尋ねてみると、梅田隧道はここから少し戻り、道を山の方向に行く旧道の先にあると教えてくれた。さすがは現役の隧道で、地元の人に隧道の名前を出すと、不思議がられることなく、即座に回答を得られた。
 旧道は緑の木々の多く茂った切り通しになっており、春の陽ざしが山あいの住宅地に降り注いでいた。のんびりとして、散歩にいい道だ。梅田隧道は、切り通しの奥にあり、苔むした坑門が、明治20年建造の“時代”を感じさせた。内部も補修が重ねられているようで、トタン造りのガレージの中のような印象だが、堂々たるスケールは、今日訪れた中で最も隧道らしい隧道だ。中は蛍光灯で意外に明るく、地元の人たちの通行もあり、いまなお現役。出口を出てふりかえると、隧道の上に深い青空が広がり、脇に建つ現代的な大型マンションとのミスマッチな対比も、何か美しさを感じさせた。

☆千駄(せんだ)隧道(大正15年開通/全長116m)
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 梅田隧道から国道16号線へ出て、田浦の市街地へ下りていく。
駅のホームが煉瓦造りの2つの隧道に挟まれたJR田浦駅から、横須賀線に乗って、久里浜へ向かった。
 しかし、あっという間に終点の久里浜駅に着くと、運良くすぐに野比海岸行きのバスがやってきた。ペリーの来航地として有名な久里浜のペリー海岸を通り、千駄ヶ崎というバス停で下車。辺りは三浦半島の先端近くの風光明媚な所で、切り通しのバス停付近からすぐ先に野比海岸が見えたが、海とは逆の道へと引き返し、左手の山地へ伸びる細い道を上がっていく。
 この辺りもMapの記載では判別がつかないのだが、細い山道の先から地元の車が数台下りてくるし、奥の方には集落が見えたので、もうその先に隧道がありそうな予感がして、わくわくしながら進んだ。
「自治会館」と表示された小さな平屋の建物を左に見て、山手に進むと、左にカーブした先に、どん、と小さな隧道が現われた。
 隧道手前の切り通しのコンクリが苔むしており、内部の古ぼけた蛍光灯がいい感じだ。十分な明かりがあるので、圧迫感のあるミニサイズのわりには明るく、中もよく補修されていて、水漏れもほとんどない。何より、地元の人々の往来が結構あり、夕刊を配達する新聞配達のお兄さんや犬と散歩するおじさんなど、この細い道が付近の人々の重要な通行路になっていることを伺わせた。出口のあたりも緑が豊かで、何か心が落ち着く隧道だ。
 今来た道を引き返して、バス停へ出て、野比海岸を歩いてみた。雲ひとつない快晴の夕刻、京急バスのブルーが、青い空と海、そしてどこまでも明るい春の陽ざしと相まって、この半島の至るところに薄暗い隧道が数多く存在していることが、何とも不思議に思えた。

 帰りに逗子駅で下車し、近くの地元の居酒屋で瓶ビールを1本、よく歩いた自分をたたえて、ひとり乾杯した。「しこ刺し」という鰯の一種の銀色に輝く刺身が、舌ざわりも滑らかにトロトロして旨かった。春の海を想起させてくれる一品だった。 

※平成22年3月訪問


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