「静岡の明治生まれの隧道」
◆宇津ノ谷明治隧道:明治9年建造/203m
◆厳井寺(がんしょうじ)隧道:明治38年建造/137m
※ともに土木学会の選出した近代土木遺産です。
4月下旬のまだ肌寒い朝、新幹線の「ひかり号」で静岡駅に下り、
北口4番のりばから路線バス(しずてつジャストライン)の
JR藤枝駅行きに乗った。
国道1号を行くこと約20分余り、町と町の間にある峠の麓まで来た。
1号線は、ここから宇津ノ谷隧道(平成隧道)に入り、
程なく藤枝市街地へ抜けていくので、隧道手前のバス停「宇津ノ谷入口」で
バスを下りた。
ここには「道の駅」があり、隧道周辺の観光Mapをもらった。
今回の目的地「宇津ノ谷明治隧道」へ行くハイキング道の標示もわかりやすく
掲載されていて、安心な気持ちになった。
「宇津ノ谷峠」は旧東海道の要衝で、明治9年に現在のハイキング道(旧々道)になっている東海道に隧道が設けられ、明治37年に現在の姿に改修された。
大正末期には現在の旧国道に新たな隧道が建設されて昭和5年に開通し、
モータリゼーションの進化を受けて昭和34年に現国道1号の新隧道(現・上り線)が開通。なお増加しつづける通行量に対応し、平成10年には国道1号(現・下り線)に複線的に並行する隧道も開通した。峠に計4箇所も現存する隧道は、それぞれ古い順に「明治隧道」、「大正隧道」、「昭和隧道」、「平成隧道」と称されており、一番古い「明治隧道」は国の登録有形文化財である。
現国道1号線の宇津ノ谷隧道(平成隧道)に入る手前を、
標示に沿って左の旧道へ折れる。
程なく国道をオーバークロスし、
「平成隧道」の右手に伸びる山道を歩いていくと、
まもなく左手に「明治隧道」への標示がある。
道は石畳が敷かれて良く整備され、自然と調和した散策に適した山道である。
カーブを繰り返しながら歩いて行くと宇津ノ谷の集落が現れ、
坂沿いの石畳の道や商家が見事に残っていて、
江戸時代の東海道の宿場町のたたずまいが色濃く、
木曽の馬籠宿あたりを思い出す風景だ。
宇津ノ谷の宿場町を過ぎ、坂道を上りきった所に小さな休憩所があり
今来た宿場町の風景を見下ろすこともできるが、標示でお目当ての
「明治隧道」がすぐ近くにあることがわかった。
再び道を進もうとすると、すぐ先、休憩場の裏手に、
その「隧道」が口を開けていた。
一目見て、見事な煉瓦積みの坑門に心を奪われた。
折しも今朝まで雨が降っていたこともあり、
隧道入口周りの“苔むし感”が絶妙で、清冽な空気に映えている。
人気(ひとけ)がない代わり、ウグイスの鳴き声がシャワーのように響いている。
隧道の中に足を踏み入れると、冷たい山の爛気が通り抜けて、身が引きしまる。長さは約200mあるが、直線隧道なので、出口ははっきり見えており、
怖さはない。天井にはオレンジ色の“カンテラ”風の照明が8個ほど点いていて、レトロチックで観光素材としても絵になるオブジェだ。
“カンテラ”は明るく、隧道内部を程よく照らしていて、
煉瓦積みの美しさもよく分かる。
幅5.4m、高さ3.6mの坑門のバランスの良い穴の形、そして長年幾人もの
人馬が通ってきた十分な歴史…保存状況も悪くなく、立派な隧道である。
出口の先はS字にカーブしていて、いかにも山中の峠道の風情がある。
明治9年に開通した当時は、旧東海道の要衝として、
通行料(人:6厘、かご1銭2厘)を徴収し、現代の有料道路のはしりだった。
山道を下りていくと左下に国道1号が見え、合流し少し歩くと、
「廻り沢口」というバス停があり、先ほどの藤枝駅行きの路線バスに
再度乗車することにした(1時間に2本程度の運行)。
JR藤枝駅からは、東海道本線の普通列車で約30分、掛川駅で下車し、
駅前から「しずてつバス」の大東営業所行きに乗る。
やはり1時間に1、2本の便で、少し時間があったので、
休憩を兼ねて駅前ロータリー脇の喫茶店で、
懐かしいナポリタンと珈琲の昼食にした。
昼食後、バスで県道38号線(掛川大東線)を南へ進み、約20分ほど。
「子隣(こどなり)」というバス停で下りた。
ここは山の中ではなく、辺りは変哲のない平らな田園地帯で、
バス停も見通しのよい交差点の手前にあった。
向いにはコンビニもあり、一体どこに隧道があるのだろう…と、
“期待外れ”への不安がよぎったが、
交差点を渡ると、先に小高い森が見えた。
どうやらその辺りに隧道があるようで、一気に胸が躍ってきた。
交差点を右へ曲がり、すぐに左へ折れると、
先の県道と並行する細い道があった。
森と言うより、起伏のある丘陵地で、すぐに木々が迫り、右手には古びた
トタン屋根の小さな工場が現れた。
すでに閉鎖された配管工場のようだった。
人気(ひとけ)は全くなく、気分はさらに昂揚した。
薄気味悪い道をさらに進むと、竹林だ。
前に訪れた横須賀の千駄(せんだ)隧道も、近くに竹林が広がっていたので、
これは吉兆、と感じながら、さらに進むと、
カーブした道の先に…どかーん!と現れた。
あの、津和野の「K隧道」の迫力を思い出させる
「厳井寺(がんしょうじ)隧道」だ。
晴天にもかかわらず、周囲は日当たりが悪くて薄暗い。
かなりハードに苔で覆われた銘板やポータルが、その威圧感を増幅している。
先の宇津ノ谷隧道(明治隧道)ではウグイスの声が聞こえたが、
こちらはカラスががあがあ鳴いている。
直線のさほど長くない隧道で、出口が見えているのが救いだった。
隧道に入ると、蛍光灯は点いているが暗めで、
中は冷気が漂って、一層に怖さを感じる。
しかしだんだんに目が暗さに慣れてきて、
内部の煉瓦の補修状況などに関心が行くようになると、
しっかりとした造りの隧道であることが判ってきた。
わずか137mの隧道を出ると、静岡らしく茶畑があり、
付近の農作業用の軽トラックが来て、今来た隧道の中へ入っていった。
ようやくようやくホッとした。
後から知ったことだが、明治38年に開通したこの隧道は、
製茶の効率的な輸送を主目的として、地元の熱意で設けられたという。
同じ静岡県内にあり、先ほどの「宇津ノ谷明治隧道」とほぼ同時期に開通した
歴史ある隧道だが、そのミッションが異なるところが面白いし、
静岡県は東日本で神奈川県と並んで歴史ある隧道の多い県でもある。
夕食は豊橋市内まで出て、市電で2つ目の電停で下り、
レトロな洋食屋で「カツライス」と、大好きな瓶ビールを注文した。
ラードで“カリカリこげこげ”に揚げたカツはかなりのボリュームがあったが、
体がくたくただったので完食したし、ビールなあっという間に体にしみ渡った。
(平成22年5月訪問)
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◆宇津ノ谷明治隧道:明治9年建造/203m
◆厳井寺(がんしょうじ)隧道:明治38年建造/137m
※ともに土木学会の選出した近代土木遺産です。
4月下旬のまだ肌寒い朝、新幹線の「ひかり号」で静岡駅に下り、
北口4番のりばから路線バス(しずてつジャストライン)の
JR藤枝駅行きに乗った。
国道1号を行くこと約20分余り、町と町の間にある峠の麓まで来た。
1号線は、ここから宇津ノ谷隧道(平成隧道)に入り、
程なく藤枝市街地へ抜けていくので、隧道手前のバス停「宇津ノ谷入口」で
バスを下りた。
ここには「道の駅」があり、隧道周辺の観光Mapをもらった。
今回の目的地「宇津ノ谷明治隧道」へ行くハイキング道の標示もわかりやすく
掲載されていて、安心な気持ちになった。
「宇津ノ谷峠」は旧東海道の要衝で、明治9年に現在のハイキング道(旧々道)になっている東海道に隧道が設けられ、明治37年に現在の姿に改修された。
大正末期には現在の旧国道に新たな隧道が建設されて昭和5年に開通し、
モータリゼーションの進化を受けて昭和34年に現国道1号の新隧道(現・上り線)が開通。なお増加しつづける通行量に対応し、平成10年には国道1号(現・下り線)に複線的に並行する隧道も開通した。峠に計4箇所も現存する隧道は、それぞれ古い順に「明治隧道」、「大正隧道」、「昭和隧道」、「平成隧道」と称されており、一番古い「明治隧道」は国の登録有形文化財である。
現国道1号線の宇津ノ谷隧道(平成隧道)に入る手前を、
標示に沿って左の旧道へ折れる。
程なく国道をオーバークロスし、
「平成隧道」の右手に伸びる山道を歩いていくと、
まもなく左手に「明治隧道」への標示がある。
道は石畳が敷かれて良く整備され、自然と調和した散策に適した山道である。
カーブを繰り返しながら歩いて行くと宇津ノ谷の集落が現れ、
坂沿いの石畳の道や商家が見事に残っていて、
江戸時代の東海道の宿場町のたたずまいが色濃く、
木曽の馬籠宿あたりを思い出す風景だ。
宇津ノ谷の宿場町を過ぎ、坂道を上りきった所に小さな休憩所があり
今来た宿場町の風景を見下ろすこともできるが、標示でお目当ての
「明治隧道」がすぐ近くにあることがわかった。
再び道を進もうとすると、すぐ先、休憩場の裏手に、
その「隧道」が口を開けていた。
一目見て、見事な煉瓦積みの坑門に心を奪われた。
折しも今朝まで雨が降っていたこともあり、
隧道入口周りの“苔むし感”が絶妙で、清冽な空気に映えている。
人気(ひとけ)がない代わり、ウグイスの鳴き声がシャワーのように響いている。
隧道の中に足を踏み入れると、冷たい山の爛気が通り抜けて、身が引きしまる。長さは約200mあるが、直線隧道なので、出口ははっきり見えており、
怖さはない。天井にはオレンジ色の“カンテラ”風の照明が8個ほど点いていて、レトロチックで観光素材としても絵になるオブジェだ。
“カンテラ”は明るく、隧道内部を程よく照らしていて、
煉瓦積みの美しさもよく分かる。
幅5.4m、高さ3.6mの坑門のバランスの良い穴の形、そして長年幾人もの
人馬が通ってきた十分な歴史…保存状況も悪くなく、立派な隧道である。
出口の先はS字にカーブしていて、いかにも山中の峠道の風情がある。
明治9年に開通した当時は、旧東海道の要衝として、
通行料(人:6厘、かご1銭2厘)を徴収し、現代の有料道路のはしりだった。
山道を下りていくと左下に国道1号が見え、合流し少し歩くと、
「廻り沢口」というバス停があり、先ほどの藤枝駅行きの路線バスに
再度乗車することにした(1時間に2本程度の運行)。
JR藤枝駅からは、東海道本線の普通列車で約30分、掛川駅で下車し、
駅前から「しずてつバス」の大東営業所行きに乗る。
やはり1時間に1、2本の便で、少し時間があったので、
休憩を兼ねて駅前ロータリー脇の喫茶店で、
懐かしいナポリタンと珈琲の昼食にした。
昼食後、バスで県道38号線(掛川大東線)を南へ進み、約20分ほど。
「子隣(こどなり)」というバス停で下りた。
ここは山の中ではなく、辺りは変哲のない平らな田園地帯で、
バス停も見通しのよい交差点の手前にあった。
向いにはコンビニもあり、一体どこに隧道があるのだろう…と、
“期待外れ”への不安がよぎったが、
交差点を渡ると、先に小高い森が見えた。
どうやらその辺りに隧道があるようで、一気に胸が躍ってきた。
交差点を右へ曲がり、すぐに左へ折れると、
先の県道と並行する細い道があった。
森と言うより、起伏のある丘陵地で、すぐに木々が迫り、右手には古びた
トタン屋根の小さな工場が現れた。
すでに閉鎖された配管工場のようだった。
人気(ひとけ)は全くなく、気分はさらに昂揚した。
薄気味悪い道をさらに進むと、竹林だ。
前に訪れた横須賀の千駄(せんだ)隧道も、近くに竹林が広がっていたので、
これは吉兆、と感じながら、さらに進むと、
カーブした道の先に…どかーん!と現れた。
あの、津和野の「K隧道」の迫力を思い出させる
「厳井寺(がんしょうじ)隧道」だ。
晴天にもかかわらず、周囲は日当たりが悪くて薄暗い。
かなりハードに苔で覆われた銘板やポータルが、その威圧感を増幅している。
先の宇津ノ谷隧道(明治隧道)ではウグイスの声が聞こえたが、
こちらはカラスががあがあ鳴いている。
直線のさほど長くない隧道で、出口が見えているのが救いだった。
隧道に入ると、蛍光灯は点いているが暗めで、
中は冷気が漂って、一層に怖さを感じる。
しかしだんだんに目が暗さに慣れてきて、
内部の煉瓦の補修状況などに関心が行くようになると、
しっかりとした造りの隧道であることが判ってきた。
わずか137mの隧道を出ると、静岡らしく茶畑があり、
付近の農作業用の軽トラックが来て、今来た隧道の中へ入っていった。
ようやくようやくホッとした。
後から知ったことだが、明治38年に開通したこの隧道は、
製茶の効率的な輸送を主目的として、地元の熱意で設けられたという。
同じ静岡県内にあり、先ほどの「宇津ノ谷明治隧道」とほぼ同時期に開通した
歴史ある隧道だが、そのミッションが異なるところが面白いし、
静岡県は東日本で神奈川県と並んで歴史ある隧道の多い県でもある。
夕食は豊橋市内まで出て、市電で2つ目の電停で下り、
レトロな洋食屋で「カツライス」と、大好きな瓶ビールを注文した。
ラードで“カリカリこげこげ”に揚げたカツはかなりのボリュームがあったが、
体がくたくただったので完食したし、ビールなあっという間に体にしみ渡った。
(平成22年5月訪問)
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