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熊野古道の長い隧道(The long tunnel near the road of

「熊野古道沿いの大隧道」(旧逢坂峠隧道:大正15年建造、延長553m)
旧逢坂峠隧道 IMG_6964
秋本番の10月中旬、朝晩の山中は冷え込みも予想されたが、その夏はひどく暑かったので、寒くなる前の、しかも台風の来ていない週末、という絶好のタイミングの訪問だった。

隧道は、ここ数年、世界遺産として人気の高まった熊野古道の、それも特に歩きやすい中辺地(なかへじ)町の近露(ちかつゆ)とう集落に近いところにある。
JR紀伊田辺駅から熊野本宮へ至る国道311号線沿いには路線バスが運行されており、紀伊田辺駅から今回の隧道入口に近い「牛馬童子口(ぎゅうばどうじぐち)」へはバスで1時間10分ほどの距離だ。
しかし、東京から日帰りには無理があったので、今回は「道の駅」に宿を紹介してもらい、前泊して朝早い時間の訪問を狙うことにした。まるで槍ヶ岳の山頂でご来光を仰ぐかのようなスケジュールだった。
特急くろしお号 DH000002
紀伊田辺、といえば1年半前に訪れた旧深谷(ふかだに)隧道のゲートウェイでもあり、ずいぶんと素敵な隧道に恵まれた土地だなあ、と思った。
駅前のバスターミナルの切符売場で、懐かしい硬券の切符を買って、夕刻のバスに乗り込んだ。行先は「道の駅奥熊野」行き。旅行者にとっては、どこへ連れていかれるのか見当のつかないような行先だが、他に「高尾隧道」行き、という、興奮する行き先の路線バスも、ここから出発していて、行先はわかりにくいが、ミステリアスなローカルバスの味を感じるに十分だった。乗客はまばらで、車中の旅行者は私1人だった。
中辺路町近露の「月の家旅館」に1泊。その日の宿泊客は、イタリア人の青年、スペイン人青年、私えお含めて計3名だった。彼らはインターネットの口コミ情報で熊野古道の神秘性に魅かれ、初めての日本への旅行で、東京、日光、京都プラス熊野古道、というルートを選んだそうで、先の東日本大震災や原発事故の影響も心配することなくこの地を訪ねてきていた。
熊野古道のルートについてもなかなか詳しい知識を持っており、ネットという媒体の情報発信力の広さに改めて驚いた。
食事の際、お膳にあった「高野(こうや)豆腐」について「これは何か?」とイタリア人の青年に聞かれ、説明するのに苦労した。

翌朝は5時起き。宿のご主人から、隧道へ向かう古道の入口「道の駅中辺地」まで車で送ってもらうご厚意をいただいた。昨晩、ご主人から隧道まで車で送ることも可能であると云われたが、隧道に至るまでの山道を、どきどきしながら歩いて上ることに価値を感じているので、それは固辞した。
昨夕に路線バスで降りた「牛馬童子口」バス停の辺りがパーキングエリアになっていて「道の駅中辺地」の建物が小ぢんまりと建っている。
朝6時過ぎだからまだクローズしており、人影はない。車を下り、宿のご主人に一礼し、教えてもらった通りのルートをたどった。
バス停と熊野古道の散策ルートはほんの間近で、そのルートを左手へ行く。平安の世に、すでに盛んに行われていた「熊野詣」とは「熊野三山」、すなわち、熊野本宮大社、滝の景観で有名な熊野那智大社、新宮駅に程近い熊野速玉)大社の3つの社の参詣をさす。そして「王子」とは、ときの天皇の御幸の際、休憩所として設けられたスポットだとされており、現在は、それが集落の中にあるものもあれば、山中に朽ちかけたように、跡のみが残るものもある。
牛馬童子 IMG_7010
まだ陽が上っていない早朝の薄暗い杉の木立の中を、細い獣道のような林道が続くが、道標が行き届き、勾配の道も歩きやすく、地元の方々が苦労して散策用に整備されていることが見てとれた。とりわけ、前年秋の台風直撃時には、古道ルートの多くの箇所で被害が出たという。この熊野の地は明治時代にも壊滅的被害を及ぼす台風が襲っており、残念ながら台風との宿命的な巡り合わせがあるように思う。それだけに、辺りの大自然と調和させた必要最小限のルート整備が、いかに大変な取り組みかが偲ばれる。
鬱蒼とした森の中を上っていく。秋のハイキングシーズンの土曜だが、早朝なので、人っ気は全くない。20分程歩くと「大坂本王子」に着いた。鎌倉時代に設けられた小さな「笠塔」が森の片隅に残っているが、いにしえの天皇御幸時を偲ぶ賑わいは全く感じられず、辺りを森の静寂が包んでいる。高い杉木立の上のほうが朝日で黄金色に輝いてきた。
熊野古道 IMG_7008
すると、右手方向に旧国道、すなわち旧逢坂隧道のある旧道の白いガードレールが目に入った。宿のご主人にあらかじめ教わっていた、熊野古道ルートの山道が左右に分岐する地点に来た。左手が熊野古道ルート、そして右へ下りる細い道が、旧道へつながっていて「この道は、熊野古道ではありません」とちゃんと記した立て看板が立っている。まるで、「決してそっちへ行ってはいけないよ!」と云いつつ、“あちらの世界”へ誘惑しているように感じ、私は興奮を禁じ得なかった。
熊野古道から隧道を IMG_7005この先に… IMG_6960
勇を鼓して、右への道を下りると、わずか20mほどで、先程の白いガードレールが近づいてきた。雨風を浴びて白が剥げてくすんで見え、まもなくその旧道へ出た。すると、その左手に、それは、あった。馬蹄型の真っ黒い闇が、私を待っていた。隧道の入口から、入ってすぐの右上の壁面にかけて、朝陽が差している。はじめて見る、神々しい光景だった。
旧逢坂峠隧道 IMG_6969
旧逢坂峠隧道は、想像どおりの十分な長さの隧道だったが、直線で、分水嶺の勾配もほとんどなく、入口から出口がほんのりと見えるので、怖さはない。
隧道入口のいでたちも飾りっ気の少ないシンプルなもので、扁額はない。ポータルや側壁は石積みだが、隧道内部はモルタルやコンクリートでカバーされていて、雨漏りもない。坑門のトップの部分に鉾型の装飾が施されているのが唯一の洒落っ気だろうか。ただ、坑門まわりに、緑色の丸い小さな葉っぱがびっしりと付着していた。一般的に隧道の入口まわりに群生するシダの代わりに、ここでは丸い小さな葉っぱがポータルを覆っていた。
旧逢坂峠隧道の丸シダ IMG_6966
隧道の中を歩いてみると、路面は凹凸なく整備されており、隧道の中程にある拡幅部分も壁面にしっかりとモルタルが吹きつけられており、現役レベルの旧国道に感じた。後で宿のご主人から聞いた話だが、先の大型台風のときには、新道(国道311号線逢坂峠隧道)の一部が崖崩れの被害に遭い、この旧道(旧逢坂峠隧道)が期せずしてライフラインの役割を果たしたのだという。全国で旧国道の名だたる隧道がすたれ、閉鎖される例が多い中、たまたま地理的な条件が揃ったとはいえ、この長い旧隧道が、今なお地元の人たちの信頼を得つづけていることは、私のような愛好家にとっても、貴重な意義を感じる。
旧逢坂峠隧道 IMG_6994
ゆっくりと、ゆっくりと、そして懐中電灯を消して、隧道の中を進んだ。熊野古道ルートから外れた隧道で、しかも朝早くなので、誰も来ない。誰にも、迷惑は掛けず、大声を張り上げて唄った(私はいつも唄う)。唄っている最中、感激のあまり、涙がぼろぼろ、頬を流れ落ちた。3曲歌い終えたあたりで、ちょうど出口に達した。出たところで後ろを振り向き、隧道を前に、道の真ん中でひれ伏した。こんなことをするのも初めてだった。“隧道の神様”に一言、お礼を伝えたかった。
旧逢坂峠隧道 IMG_6999
隧道を出てすぐ右手に民家があった。
ゆうべの宿のご主人によれば、麓に住んでいる地元の方が所有する家で、今は番犬だけを置いているそうだ。その犬が、先刻から、私の大きな唄声に盛んに反応して、わんわんわんわん、しきりに吠えている。人馴れしていないらしく、私が近づこうとすると、すぐ後ずさりするが、やはり絶え間なく吠え続けている。私はしばらく、その辺で座って休憩した。
犬は一旦、吠えるのを止めていたが、今来た隧道を戻るときに私が再度唄い始めたら、途端に吠え出した。隧道の中から出口のほうを振り返ると、その犬が隧道の先に見える。
わんわんわんわん、私のことを見送ってくれているのだろうか。それとも何を伝えたかったのだろうか。でも、旧逢坂隧道で私の“唄”の観客が、一匹、居てくれて、ちょっと嬉しかった。
旧逢坂峠隧道と番犬 IMG_6989
隧道の十分な長さ、周囲の大自然と一体になって醸し出される風格。プラス熊野古道の千年余の歴史。さまざまな魅力に恵まれ、何より地域の人たちに、今も大切な存在として機能しているこの隧道は、一級品に価すると思う。帰りは熊野古道ルートを、ゆうべの宿のある近露王子まで歩いたが、途中、天高く伸びる杉の木々の合間からキラキラと陽が差し、何かが舞い降りてきたかのような美しさだった。
熊野古道から IMG_7014旧逢坂峠隧道 IMG_6971
その日は快晴の中、路線バスで熊野本宮大社へ出て参拝し、その後、再び路線バスでJRの新宮駅に出た。熊野本宮大社から新宮にかけての地域は、昨年の大型台風時に熊野川が氾濫し、甚大な被害のあった地域で、本宮大社とその周辺、さらに下流エリア、JR新宮駅の構内まで冠水し、交通機関は長期にわたり不通となり、ライフラインが分断された。その後1年が経ち、被害時の光景が嘘のように、町も村も、本宮大社も、もとの姿に戻っている。しかし、期せずして国道の“迂回路”として、災害時に重要な役割を発揮した旧逢坂隧道。その隧道を造った人々、その後、長きにわたって保守・維持し続けている人々に、敬意を感じてやまない。
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時は10月。「さんま寿し」の旬だった。本宮大社前の食事処で購入し、帰りの「スーパー南紀84号」の車内で、「プレミアムモルツ」の缶ビールと一緒においしく頂いた。それは、車窓から熊野灘が見えなくなり、三瀬谷(みせだに)を越えて、伊勢平野に出てからのことだった。
さんま寿司 IMG_7048
久しぶりの“流れる車窓”に目を凝らし、首筋が凝ってしまった。ほろ酔い気分のディーゼル特急の車内で、肩のあたりを叩いていたら、四日市のコンビナートの圧倒されるような夕景が見えてきた。
特急スーパー南紀 IMG_7044

I've visited Kumano-kodo on OCT.2012. This tunnel "Old osaka pass tunnel" has located near the Kumano-kodo. It has a long distance more than 500 meters. Ah, that breeze feels good...

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※2012年10月訪問
(訪問される際は自己責任で、地元の役場に安全を確認されることをおすすめします)


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